東京旅行とプロジェクトT(Fugee編)

Diary

豪華すぎる時計コレクターさんたちとお別れし、私は猛ダッシュで銀座から要町へ移動します。事前に連絡の上、4年振りにFugeeのアトリエを訪問する約束をしていました。慣れない東京の電車移動で若干戸惑いつつも、時計ランチが盛り上がりすぎて時間が押し気味だったのでとにかく急ぎましたが、その前にお一人一緒にFugeeに行くために要町で待ち合わせしている方がいらっしゃいました。

ブログ上ではAさんとしますが、Fumiya HiranoやNaoya Hida TYPE1C(後期)のオーナーで、以前から拝見しながら「きっとお話ししたら仲良くなれそうだな」と思っていた方です。Aさんはコロナ渦以降にFumiya HiranoやYohei Fukuda、hosoi parisなどトップオブトップと呼ぶに相応しい職人さんたちにビスポークをお願いしてきた方で「日本でFumiya Hiranoの服を着ている人は他にどんな方がいるのだろう」と調べている中で私のブログにたどり着いてくれたそうです。Naoya Hidaの時計については私のブログがきっかけで興味を持たれたということで、他に時計を所有していない中でまさにTYPE1Cの一本釣り。特級の時計コレクターが好むNaoya Hidaのオーナーの中では私はかなり時計の所有数が少ない方だと自覚していましたが、初めて負けました笑(勝ち負けの話ではありませんが)

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歩きながら色々とお話をしながらもFugeeのアポを取っていたのでアトリエへと向かいます。4年前と変わらぬ閑静な住宅街の中に、憧れのFugeeは佇んでいました。チャイムを鳴らしますが応答がなかったため、ドアを開けて声をかけると金原さんが迎えに来てくれました。藤井さんの待つショールームスペースまで階段を上っていきます。

4年前に来た時と同じ、鮮やかなブルーのアトリエコートを着た藤井さん。この日私が訪れたのは主に2つの理由があります。実は2020年3月に仕事へつくばへ行った際、私はバッグをオーダーしていました。モデルはFM42、Fugeeを代表する口枠鞄です。ハバナカラーのブライドルレザーに、よもぎ色のステッチでお願いしてあります。その時点では約5年待ちとなっていて、完成は2025年1月と伺っていました。当時は随分と先のことだと感じましたが、納品まであと1年。この日Fugeeを訪れたひとつ目の理由は「自分自身の当時の気持ちが変わっていないか」を確かめるためです。

オーダーした時と比べると私の装いは黒やグレーなどが増えた気がします。当然、人間的にも成熟しました。会社ではいきいきと自分の仕事に邁進し様々な新記録を打ち立てて、まだ瑞々しさが残っていた2020年3月時点で29歳の私。今は自分だけではなく部下の育成やマネジメントはもちろん、自分自身の成果への興味は段々と枯れてきて、会社全体の利益に繋がる行動は何かと考えるようになってきました。またプライベートでは初めてのブログコラボアイテムであるSewnオボイストモデルが完成したばかり、読者の方とお会いする機会も今ほど多くはありませんでしたし、こんなにもいろんな分野の方々と繋がりが出来て人脈が広がっていくとは思ってもみませんでした。同じ私であることには変わりありませんし、Fugeeへの憧れは少しも変わっていませんが、30代半ばに差し掛かった自分が当時のオーダー内容を改めて見返した時に何を感じるのかをもう一度確認しておきたかったのです。

部屋の中はいつ訪れても変わらぬ心地の良いまろやかな空気が満ちていて、一方で力強さと無欠さを身に纏った物言わぬカバンが発する緊張感がそれと溶け合っています。

まずは4年分の近況報告をしながら、4年前にはなかったサンプルなどを色々と見せていただきます。私のファーストFugeeであるチャリ革の名刺入れをお二人に見てもらいました。宝物のひとつで大切に使っているのですが、段々と手に馴染んできました。革の張りが失われることはありませんが、販売分として置かれていたヌバックリザードの同モデルと比べると明らかに形状が変わってきています。

「普通色が抜けていたりするとメンテナンスでお預かりして補色したりコバを磨いたりするのだけど、これはもうしばらくこのままが良いですね。まるで明治時代の革小物のような雰囲気になってきましたね」と藤井さんも金原さんも念入りに自分たちの作品をチェックされていました。

私がオーダーしたときはレッドのFM42とハバナのFN44でしたが、現在はハバナのFM42とブラックのFN44となっていました。FN44は実はマイナーチェンジされていて、マチが少し狭くなったり、天井の口枠の幅もスマートになっていました。「元々A4の書類が綺麗に入るようにと思ってFN44を作ったのですが、以前の形だと横から見たときの独特な革のカーブを出し切れていないように感じましてね。このシリーズは元々4mm厚のブライドルをなるべく薄くせずに、そのまま二人がかりで“おい、そっち乗っかって”なんて言って体重を思いっきりかけてなんとか成形出来るようなバッグだから、幅を狭くスマートに作ろうなんて考えたことはなかったんですよ。やってみたら、ようやく満足のいく仕上がりになりましてね。ま、その結果当初目的にしていたA4の書類は入れにくくなってしまったんだけども笑」と藤井さん。傍から見る分には出来上がってくるすべての作品が完璧に見えるFugeeですが、何十年と鞄を作り続けてきた藤井さんは毎日毎作品、出来うる限りの改良を盛り込もうとしているのだと、改めて感動しました。

こちらは既にお客様によって長年にわたり使い込まれた同じシリーズのバッグです。置いてある状態を見たとき、私も、一緒に行ったAさんも新品かと思っていたくらい見事にバッグのシルエットがキープされています。持ち手の金具の部分には金属同士が擦れて削れないように革を挟んで作っているようですが、このお客様はお仕事柄かなりハードに中身もパンパンにして使われていて、一度金具の交換修理をされているとのこと。私の場合はここまでハードな使い方にはならないはずですから、きっと自分の身が朽ち果てるよりもずっと永くFugeeのバッグは世に残り続けるだろうと思います。

現在制作中のバッグについても途中経過を見せてくれました。藤井さんが「今ね、面白い革でKM39を作っていて・・・」と話を始めるころにいつの間にかスッと金原さんがいなくなっていて、まるでその話をするのが分かっていたかのように縫製前のバッグの素材を持ってきてくれています。こういうことが何度もあり、お二人の阿吽の呼吸っぷりに感嘆していまいます。こちらの豚革はマーキスの川口さんが「靴に仕立てるにはかたくて向かないんだけど、藤井さん欲しい?」と譲ってくれたものだそうです。藤井さんは川口さんのことを「革マニアの靴職人」と呼んでいました、私はお会いしたことがありませんが、道を極めし者同士通じ合うものがあるのかもしれません。Aさんはこちらを見て「うわあ・・・これはオーダー出来た方が羨ましい」と豚革に一目惚れのご様子でした。

AさんはいつかFugeeで頼むならKM39と決めていらっしゃるようで、現在ショールームに飾られていて既に嫁ぎ先が決まっているブラウンの個体に代わって展示される予定のネイビーシュリンクについても途中経過を見せていただきました。私もFugeeのラウンドボトムブリーフに憧れてSusieSveltで作った経緯がありますので、お二人にもオボイストブリーフケースを見ていただきました。オボブリのカーボンインサート製法などについて私から話をすると、興味深そうに手で触れながら「こうやってお客様のバッグを“良いですね”と言いながら手で触ってね、実は調べてるんですよ笑」と藤井さん。

他にもシャークの札入れやブライドルレザーに型押しがされたトートバッグ、ネイビーと青緑ふたつの色でそれぞれ仕立てられたボストンバッグなど、どれもこれも極上の鞄ばかりで胸が躍りました。トートバッグの持ち手はコバも含めて完全な丸に仕上がっていて握ったときの馴染みなど素晴らしいものがありました。

色々とお話ししながら、本来の目的であったオーダー内容の再確認についてですが、結局私は最初に頼んだままの内容でそのまま行くことにしました。オーダーしたときの自分の感性をタイムカプセルを開けるかのように楽しむのもまた一興かなと思いましたし、ハバナカラーにイエローのステッチというオーダーも我ながら良いセンスだなと、サンプルを見ながら感じることも出来たので笑 ハバナのFM42が無い中でのオーダーだったことは若干心配だったのですが、今になって確認できたことで安心しました。

「やっぱり全部、オーダーしたままでいきます」とお伝えしたあとに分かったことですが、革もオーダーした時点で取り寄せてあるようで、逆に今変更するとその当時とは全然値段も違いますから随分とアップチャージがかかってしまいます。本体に使う革などはオーダー時点で押さえておくようですが、使う部材のすべてを準備しておくことは不可能で「革だけでなく真鍮もシルバーもすべてがものすごく値上がりしているので今後どうやって対応していこうかと悩んでいるんです」と金原さん。余計な心配をかけてしまって申し訳ないことをしましたが、ご迷惑をかけないためにもそのままと心が決まって良かったなと。

そしてもうひとつ、この日Fugeeを訪れて確かめておきたかったことがあります。実は先日ghoeの田岡さんがインスタのストーリーに「師匠が初めて自身の年齢について触れる場面があった」と書かれているのを拝見しました。私は2020年のオーダー時に「大変な失礼を承知で正直にお話ししますと、藤井先生の手によるバッグが手に入らなくなったあとでは私は一生後悔することになると思うから、納期を考えて藤井さんが現役でいらっしゃる間にバッグをお願いしたいんです」といった旨の話をしたことがありました。2024年現在、もちろんまだまだ当面先まで元気に鞄を作り続けてくれることと信じていますが、もし万が一私のバッグを作る前に引退・・・なんてことになったら悔やんでも悔やみきれないと、一応今後のことなどを伺っておこうかと考えたのです。

「そうでしたか、ははは。大丈夫、ちゃんと作らせていただきますよ。ただ、コロナで落ち着いていた受注が近年またありがたいことに入り続けていて、今はビスポークもスタンダードラインも納期が7年くらいに延びてしまっているんですよ。7年後というと僕も80歳を超えてしまいますから、さてどうしたものか・・・と考えているのも事実です。それと、僕はずっと“いつか作りたいな”と温め続けてきたカバンのアイデアがあるんです。お客様分を作るので精いっぱいでなかなか手が付けられないのですが、最後にはそういうのも、作りたいな・・・などとね、思ってはいるんです」と藤井さん。実際のご年齢よりも随分若々しく見える藤井さん、私だって一生現役でいてほしいですが、人気があるあまり藤井さんがずっと作りたいと思っているバッグを作ることが出来ずにいるのはそれはそれで人類にとっての(私は大げさではないと思っている)大きな損失でもある気がします。藤井さんはいつも「もう私なんかより、金原のほうが上手く作るんですよ」と仰るので、技術の継承は完了しているのかもしれませんが、自由な時間を手にしたときにいったいどんなバッグが出来上がるのか。いつか私も見てみたいです。

結局色々と伺っていたら1時間半近くも滞在してしまいました。1年後は是非もう一度お伺いして、バッグの納品の際には私のカバンが仕上がるまでのストーリーも聞かせてもらおう。他にも仲間が作ってくれた什器のお話など書きたかったのですが、Fugeeが好き過ぎるあまり長大な記事になってしまいましたのでまた改めて。今回の東京旅ももう少し続きます。

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