皆さんは、何かを頼んでから5年納品を待ったことがあるでしょうか。
オンラインで注文すれば大抵のものは翌~翌々日に届いてしまう2025年現在。THE TRUNK BY OBOISTでは様々な職人の、様々なカテゴリーのオーダーを承っており、靴や鞄は最低でも4ヶ月、長いと2年近くお待たせするものもあります。
SNS上では納期遅れやその際のやり取りでトラブルになったという件も散見されます。この令和の時代に、納品を楽しみに待つ身としてみれば、“契約”通り納品がされず十分な説明がないことに腹を立てる気持ちも分かります。反対に、さまざまな理由で予定通りにことが進まず、顧客対応が後手にまわってしまう作り手側の心情も、私は理解できます。
新型コロナウィルスという未知の存在に世界が脅かされていた2020年3月、私は出張でつくばへ行きました。ちょうどSewn shoe-makerとのはじめてのコラボレーションアイテム・オボイストモデルのサンプルが完成した頃でした。出張ついでに私はFugeeへ行き、バッグをオーダーしました。憧れの鞄職人・藤井幸弘氏の手によるバッグを持たないまま人生を終えてしまったら一生後悔すると、当時の私は本気で思っていました。この時点で藤井さんは71歳、長い納期を考えたときに、これがラストチャンスになるかもしれないと。失礼を承知で「藤井さんが現役で鞄を仕立ててくれるうちに、どうしてもオーダーしたかった」と29歳の私が打ち明けると、藤井さんが優しく笑ってくれたことを、つい昨日のことのように思い出します。
実際に5年、厳密にいうと4年10か月の時が経過する間、実に様々なことがありました。Sewnだけでなくいろんな職人とブログのコラボレーション企画を考えたり、会社での立ち位置も、会社自体の体制も大きく変わりました。妻は二度転職し、自分で作ったアクセサリーなどをマルシェに出品するようになりましたし、私はというと2023年に初めて本格的に転職を考えた末に、ご存知の通り2024年5月、同じ会社に勤め続ける傍らでTTBOをオープンすることを決めました。
Fugeeからの完成連絡は、注文時に伝えられていた“2025年1月末”という内容通り、寸分違わずやってきました。29歳の私はその時点での経験値と今後の展望を元にオーダー内容を考えましたが、2020年に想定していたほどペーパーレス化は進まず、藤井さんはまだまだ現役最高峰の鞄職人として君臨しています。しかし、想定し得なかった偶然が重なって、その当時よりもむしろ今の私にこそ響くバッグとして仕上がったのです。
この約5年間は「納品を待つ」というよりもむしろ「来たるそのときに備えて人生を進行させる」と表現したほうがしっくりきます。言うまでもなくこれまでにオーダーした全てのアイテムの中で最も長い納期でしたが、藤井さんの鞄を受け取るに足る人間に近づくことが出来るように毎日地道な努力を続けてきました。結果、こうして無事に納品の日を迎えられたことに、まずはほっとしています。そして、当時と比べれば随分と贅沢なオーダー品がコレクションに加わった今現在も、私の胸の中にあるFugeeへの憧れは変わっていません。
「美しい鞄になりました」
そう、完成連絡のメールには記されていました。ちょうど翌日が休みだった私はすぐに始発の新幹線を予約し、受け取りに伺う旨を藤井さんにお伝えしました。昨年手に入れてた時に「これはオーダーしているFugeeとよく合うはずだ」と確信していた白樫さんのブーツを、前夜丁寧に磨き込みました。
東京駅からFugeeのある要町駅まで大体30分くらい。アトリエが近づくにつれて緊張が高まっていきます。アポを取っていた10時ちょうどにアトリエへ到着し、もう何度も見たFugeeのインターホンを押すや否や、玄関で待ち構えていたのか即座に藤井さんがお出迎えしてくれました。お会いするのはちょうど一年ぶり、TTBOを始めるというご報告に参ったとき以来です。脱ぐのに時間のかかるブーツの紐を解いていると「素敵な靴ですねえ〜」と褒めていただけました。白樫さんの名前を出すと藤井さんもご存知の様子でした。お土産を手渡し2階へ上がると金原さんも待っていてくれました。右手のショールームに入るとすぐに目に飛び込んできたのが、私がオーダーしたライトハバナのブライドルレザーを使ったFM42でした。完成連絡をいただいたのは訪問前日の1月26日だったのですが「実は昨日、76歳になりましてね」と教えてくれて、私のバッグが完成したのは奇しくも藤井さんのお誕生日だったことが分かりました。
正直、5年もあるとオーダーしてから趣向が変わって「あの時こうすればよかった」というポイントが1つくらいは見つかってしまうかもしれないなと、実際に向き合うまでは思っていました。それがどうでしょう、フルオーダーではなくFugeeのstandard modelとはいえ、選んだモデル、レザーの色味や質感、よもぎ色のステッチ、錠前の素材と形状が完璧にマッチしています。
「4mm厚のブライドルレザーでこういう形を作るということはね、相当に無理をさせているのですよ。だからこそ、この緊張感が生まれるわけです」と藤井さんが仰る通り、革が外側にパンッパンに張り出しています。バッグを置いた状態で正面から見た時と、手に持ってバッグを俯瞰した時とでは、およそ同じ鞄とは思えないほどに印象が変わります。
「なんだか言い訳するみたいなんですけどね、このバッグには2枚のブライドルレザーを使っていて、当然生き物の革ですから、部位によって厚みや硬さなんかも違うわけです。今、鞄を机においた時に、少しガタガタするでしょう。これは左右で革の硬さが違っていることから起こるのですが、荷物を入れて少しお使いいただくうちに落ち着きますから、安心してくださいね」と藤井さんからご説明がありました。仕立て上がった時ではなく、鞄が使われていく上での変化まで計算して作られているのです。
形から何から全てをゼロから決めていくフルオーダーと比べて、standard modelを作り続けることは、果たして今の藤井さんにとってどういう意味があるのだろうと純粋に疑問に思って聞いてみました。すると藤井さんからは、
「今でもね、こういう言い方って良くないかもしれないんだけど、いまだにどこか実験っぽいというかね。ここをこうしたらもっと良くなるんじゃないか、今度はこうしてみようああしてみようって、ご納品のバッグを含めてみんなそうなんですよ。そうやって試行錯誤しながら、standard modelに関しても今でもわちゃわちゃと考えて作り続けています。その中で、自分の中の最高を目指すというかね。みんなそれぞれ、いろんな方がいろんな思いでものづくりをされていますから、絶対的な正解なんてないのですけど、少なくとも自分の中でのクオリティを上げていこうと思うとね。そうやって足掻いて、色々と試し続けるしかないんですよ。作りやすいから薄くする、今回もいつもとおんなじように作ればいい、なんて考え始めたら、転げ落ちるのは一瞬です」とお答えいただきました。この言葉は全ての職人、ひいては我々現代社会で生きる者たちがつい見失いがちな、とても大切な教えに満ちていると思います。私の中ではどうしても、フルオーダーの作品の方が藤井さん自身のモチベーションというか、熱量も高いのではないかという考えが心のどこかにあったのですが、同じものを作り続けるstandard modelには、同じものだからこそ毎回が自己最高の作品を生み出せるかどうかの真剣勝負なのだと、今回の納品で気付かされました。鞄職人歴約45年になる藤井さんですら、毎日こんなに向上心を持って鞄を作ってお見えになるわけです。そんなことが、30年、40年後の私に出来るのか?むしろ今でも、どこか日常に妥協はないだろうかと、振り返ってみて恥ずかしくなりました。
「僕は藤井さんの鞄作りの話を聞くといつも、襟を正すような気持ちになって、毎日一生懸命頑張ろうって思えるんです」とお伝えすると「そんな大したものではないんですがね。私たちがやっていることというのは、模倣なんです。鞄というのは随分と昔から、いろんな名人たちが作り続けてきたわけです。そんな中で、100%オリジナルのアイデアで鞄を作るなんてことは、ほとんど不可能です。ただ、自分の中で決めていることがあって、模倣するのであれば、後から作った自分の作品の方が出来が良くないと、恥ずかしいことなんですよ」とも仰っていました。
「きんちゃんは僕なんかよりもずっと、繊細でね。“おいおいそんなところまで拘るのか”とこっちが思ってしまうくらいなんですよ」と藤井さんが舌を巻く腕前の金原さん。最初に購入してから6年以上が経過した私のチャリ革の名刺入れを改めて二人に見せたところ「少しメンテナンスさせていただきましょうか」と金原さんは40分ほど別室でお化粧直ししてくれました。毎日使っているのに相変わらずものすごいハリがある途轍も無い名刺入れですが、僅かにステッチが切れている部分や革の色抜けなどが出始めていました。革であるかぎり当然の変化であり、それがまたFugee作品の場合美しいのなんのって。しかし、メンテナンスを終えて戻ってきた名刺入れを見てびっくり。またさらに、新品の時には出すことの出来ない味わい深さを伴った瑞々しさが蘇っていたのです。
ひとつのバッグを藤井さんと金原さんが協力して仕立てるそうですが、例えば私のバッグの場合、持ち手は金原さんが担当して作ってくれたとのことでした。「ハンドル作るの、得意で、好きなんですよお」と金原さん。もうこれは持っていただくしか伝えようが無いのですが、びくともしないのです。どんなに重い荷物が入っていても、何年使おうともきっと当面は変化という変化も見られないであろうほどに頑丈。それでいて、驚くほどカバン本体が軽く感じるのです。ハンドル作りには相当な労力が掛かるそうですが、納得です。
前述の通り、私は藤井さんがいつか現役を引退される前に自分のために鞄を作ってもらいたいと願い、5年前にオーダーしました。現在76歳になられた藤井さんに、今後のことも聞いてみました。
「金原とも、納期を考えるとそろそろ考えないとね、と話したりもしているのですがね・・・まだ渋谷でやっていた若い頃、オーダーが入らなくて苦しいなあという時代もあったのですよ。そういう時にいかに、自分の中の信念を曲げずにいられるかということが大切なんじゃないかなんて思うわけですけどね。それで、貧乏性と言いましょうか、わたしは今でもね、お客様からオーダーをいただけると嬉しくて仕方がないんですよ。自分の中で、クオリティは昔より確実に上がっている、丁寧に作っているとも思っておりますしね。だから、もう少し、作り続けていたいのですよ。オーダーに来てくれたお客様に“やめる”って言い出せないのです」
「僕はね、鞄職人として、すごく幸せだなあって思ってるの。ortusの小松と一緒に仕事出来たこともそうだし、金原と一緒に“ここをもう少し上手く出来ないもんか”なんて言い合える相手がいるっていうのはね、それはもう、一人でやるのとは全然違うんですよ。もちろん、全部一人でやるんだ!って職人さんもいるのでしょうけどね、私はこういう仲間に恵まれて、良かったと思ってます」
他にも色々と、デュプイを訪問した時の街の風景のこと、マイナーチェンジしたFN44の設計についてなど、たくさん藤井さんの話を聞かせてもらいました。私の拙いブログで、藤井さんの鞄作りへの真っ直ぐな情熱が伝わったのかどうか分かりませんが、私は初めてこういったオーダーものの納品の場で“落涙”しました。こんなに一生懸命作ってくれる藤井さん、金原さんと出会うことが出来た幸運に感謝し、また“Fugeeの作品が手に入るうちは、少しずつでもオーダーを重ねていきたい”という気持ちも話を聞いていて頂点に達しました。まずはこのFM42を使い込んで藤井さんにまた見せに来たい、そのためにも、次の楽しみをお願いせずにはいられませんでした。
TTBO開業記念に、両親からもらったお祝いで手に入れた大切な万年筆があります。コンウェイスチュワートのブルネルモデルです。藤井さんと金原さんからも「うわあ、美しい万年筆ですねえ」ととても褒めてもらえたことが嬉しくて、次はこの万年筆用に一本挿しのケースをお願いすることにしました。
Fugeeの万年筆ケースは、名刺入れと同じようにコマ縫いを用いて作られています。中に入れるペンを、どの向きにどんな風に入れたいのかをヒアリングし、毎年夏に恒例となっている革小物の集中制作期間に作られます。「鞄と違って革小物を作るのって、すごく良い気分転換になるのですよ。集中して作業して、気がついたらこんなたくさん出来あがっちゃった、っていうのがね、バッグとまた全然違ってね」と藤井さん。金原さんに聞いたら、その年の夏に制作できるキャパシティを超えると翌年以降に持ち越されるということのようです。幸い、今年はまだ若干の余裕があったそうで、5年待ったバッグとは裏腹に、万年筆ケースは今年の秋には完成しそうな勢いです。
金原さんが、私の万年筆に合いそうな革を3種類ほどピックアップしてくれました。初めて聞くタンナーの重厚なダークグリーンのゴート、グレーっぽいヴォーエプソン、ベージュの水シボが入ったペリンガーのボックスカーフ。
少し悩みましたが「緑のペンに緑のゴート、渋いけど、少しもっさりしそうですよね。このエプソンが一番万年筆を引き立たせてくれて、キリッと仕上がりそう」とお二人のアドバイスの通りに、こちらにしました。藤井さんは万年筆のクリップがケースの革自体を挟むような構造のケースを好まないそうで、ケースを開いた時にクリップが横を向いて固定されているような作りでお願いすることに。(ごめんなさい、伝わらないですよね。出来あがったら解説しますね)
とにかく細かく万年筆の各部の計測が始まるのですが、お二人が真剣な表情で話し合いながら作業する様子が何故だか微笑ましくて、私はとても嬉しい気持ちになりました。また、万年筆本体についても、夏の制作が始まる際には一度お預けすることになりました。せっかくならFugeeの完璧なフィッティングを味わいたいですからね。
納品の記念に、藤井さん、金原さんと写真を撮ってもらいました。昔の写真を見返していたら、2019年12月にブログ仲間たちと藤井さんのお話を聞きに行った時に撮った写真が出てきました。藤井さんはいつもブルーのアトリエコートを着ていらっしゃるので、全く変わらず若々しいですね。私も藤井さんのような、良い歳の重ね方をしたいものです。
お二人に深く深くお礼を申し上げ、再会する日まで大切にカバンを使い込むことを約束しました。アトリエを出発してからも私はバッグが手元にあることが嬉しくて仕方がなく、何度も何度もシャッターを切りました。しばらく興奮は収まりそうもありません。このブログをここまで読んでくれた皆様にもお付き合いいただき、感謝しています。TTBOへお越しいただければ、いつでも現物をお見せします。ぜひ自慢させてください。
藤井さん、金原さん、この度は素晴らしいバッグを仕立てていただきまして、ありがとうございました。万年筆ケースも楽しみにしています。大変お忙しい中かと存じますが、私の店にも何かのついでに、是非お越しいただけましたらと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。
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